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Lies and truth 2012.08.06更新
本物に出会うのはなかなか難しいものです。
なにを以て本物というかと言われれば、それこそ焦点を絞らなければ、説明も困難だと思いますが、ただ単純に「贋作や偽物でないものが本物である。」と、言うのは少し乱暴な気がします。それに、本物だからと言って、それは1つだけとは限らないでしょうし、多勢が認めるからといってまた、それが本物だとも限らないのです。
例えば、或る人気ブランドのバッグ。大きなデパートの中の直営店で購入して、そこにサーティフィケートがついていれば本物であると言えるでしょう。きっとそのバッグには、それはたくさんのS級の贋作が世界中に氾濫していて、何年も前から予約しなければ、とてもじゃないけど手に入らない程の高級バッグだったとしましょう。当たり前ですが、それは決して偽物ではない、その店のオリジナルであったとしても、果たして “本当に本物” なのでしょうか?経年、そんなブランドがあったことすら忘れ去られたとして、どれだけ需要や人気が衰えても、それこそ予約をしてまで、そのバッグを手に入れたいと言う理由があるでしょうか。もし、その理由が見当たるのであれば、そのバッグは本物だ、と思うのです。
かくして、 “本物でないもの” とは、その真髄を得ずして、姿形を真似ただけのものであるとか、大勢の押し上げた価値観で以て、相対的に値打ちの揚がるものや事をいうのです。難しいのは、その人にとっての価値観だけが迎合すれば良いのかというと、それも違って、本物であることは誰からしても、やはり本物であるのだと思います。そして、本物でなければダメなのかーという理屈は、本物を利き分ける感覚のない理屈であるとさえ思うのです。
歪曲しようがない本物は、多からずあると思います。でも、見るものにその力が備わっていなければ、よく出来た鋳物を本物だと思い込むでしょうし、縦んば、本物を手にしたときには、真価が理解出来ないまま、その力に振り回されるでしょう。
だから、いつもそれを見分けることの出来る、曇りのない眼を養わなくてはならないと思います。限られた時間と空間のなかで出会い、手にすることの出来ること。条件や、付加価値に左右されない本物と本当のこと。それは、極々限られているのだと思います。
…たまには、こんなこと真剣に考えても良いですよネ(笑)

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