スタッフブログ

Happy Birthday! 2012.05.18更新
今日はスタッフOさんの誕生日でした。彼女は今日で23歳になったということで、ささやかながらケーキを食べてお祝いしました。・・・若いっていいなぁ〜。お決まりの文句ですが、私からすれば本当に若いですから。羨ましいねって言うと、Oさんは『そのときから振り返って、いつもあのときは若かったな、良かったなって思うものだそうですよ、だから未来の自分が今の自分を振り返ったときに後悔しないように頑張ろうと思っています^^』と言っていました。うんっ、なかなかしっかりした23歳です(笑)
まったくその通りで、いつでも今が一番の高みであれば、過去を懐かしんでも、羨むことはないですものね。一寸の光陰軽んずべからず、そのときそのときの頑張りどころ、そして楽しみ方がある筈です。
ともあれ、Oさん、お誕生日おめでと〜♪

日曜日は yes, 高須クリニック! 2012.04.23更新
近頃、方々の人に、“ブログ止まってるね、どうしたの?” と言われます。ブログを覗いてくれる人が結構いるんだなぁ・・・と、ちょっぴり反省と、感謝^^
昨日は、高須クリニック大阪院に行ってきました。インプラントのカウンセリングだったのですが、日曜日ということもあり、気を抜いたホリデー・スタイルで行くと (普段でもスーツなど着こなすこともあまりないのですが・・・)、久弥先生が!高須クリニックの美容歯科は、高須家の嫡流、高須久弥先生が全国をひっぱりだこに飛び回り、診療をされています。突然の、いや、私のただうっかりのサプライズに、無防備の私はどぎまぎと挨拶を済ませ、インプラントのカウンセリングがスタートしました。
下アゴと上アゴ1本ずつ、計2本のカウンセリングだったのですが、前歯の審美治療はすべて終了。天然の歯に見間違えるようなキレイなセラミックが入っていました。施術は勿論、久弥先生。さて、その患者様の下アゴは、ブリッジと言われる繋がった銀歯が入っていました。3本分の歯を前後の2本で支えるブリッジは、将来的に支えている歯に負担がかかってしまい、ダメになってしまう可能性が高いということで、歯のない真ん中のスペースにインプラント (人工歯根) を埋入したいとのこと、そして上アゴは、一番後ろの歯がなくなっていて、下の歯と噛み合わせることが出来ないということで、ここもまたインプラントをご希望との内容でした。手術が可能と判断し、一通りのカウンセリングが終わったところで、施術の順番を久弥先生にバトンタッチしました。 若い女性の患者様でしたから、当然、下の銀歯を見えなくしたいようで、下の歯から順番にインプラントをしたいとその患者様が言われたところで、久弥先生がアドバイスをピシャリ。“噛み合わせが失われているのは上の歯だから、全体的なバランスを回復させる為には、上のインプラントが先だと考えますよ。”
審美治療の先駆にして、まずは見た目があまり良くない銀歯から治療するのかと思いきや、トータルバランスを見据えて、これを優先させるということです。ここが、いつも私の思う高須久弥先生の素晴らしいところだと思います。やはり原点には医学ありき、人ありき、なのですね。私のカウンセリングだったのですが、改めて、勉強させて頂きました!
これは、久弥先生のブログから拝借した写真です。いつも面白いお話、満載ですよ^^

冬の終わりと、黄昏と。 2012.03.12更新
『・・・でも、本当の意味で夕暮れと黄昏はまた違うの。内藤君、あなたならそれが分かるんじゃない?』
決して真面目な生徒とは言えなかった私に、不意にそう声をかけたのは少し年配の女性の国語教師でした。私が中学2年生で、14歳の頃。折しも、それは国語の授業中でした。季節は、もうクラス替えをするような冬の終わりで、ぼんやりと窓の外を眺めていた私は、はっとして縦書きで“黄昏”と掠れたチョークで書かれた深緑の黒板と、その先生の顔を交互に見比べました。先生はいつになく真剣な表情で『ね、あなたならわかるでしょう?夕暮れと黄昏、どんな風に違うものなのか。』と言いました。私は“なんで、僕なんだ。”と思いながらも『まあ、なんとなく・・・。』と、勢いのない返事をしてしまいました。忽ち次は『では、何が違うの?』と、訊かれたらどう答えようかと、もじもじとしながら顔を上げると、先生は少し嬉しそうに『その気持ちを大切になさい。』と、それだけ言って、にっこり笑いました。
その授業が終わると、悪戯そうな顔をしながら友達が数人寄ってきます。『おい、それで一体何が違うって言うんだよ。』と私を囲みました。そのとき私は、何と言ったのかもう憶えていないのですが、あまり上手に答えられなかったように思います。友達が言うには、私がぼんやり聞き流していた授業の内容はこうだったそうです。
『黄昏は太陽が傾き始めて山が黄色に染まり始める時間帯を言います。
それに対して夕暮れは太陽が山にかかり、山が朱に染まる時間帯。黄昏については、今は昔、薄暗くなって路往く人の顔が分からなくなってしまったときに、「誰(た)ぞ彼(かれ)=あれは誰だ。」と、言ったことが起源なの。』そして続けて、『でも、本当の意味で夕暮れと黄昏はまた違う・・・。』と言った後、突然、私を指したということでした。
・・・先生、あのとき僕、そんなに黄昏れていましたか?
もし、夕暮れと黄昏の違いが、時間とは別にあるとするならば、それはきっと、その眼に映す者へ、詰まりは心の違いにあるのだと思うのです。一日の終わり、万感に暮れてゆく想いを夕焼けに映せば、それは夕暮れではなく、“黄昏”になるのでしょう。
結局、先生は一度も私の担任になることはありませんでしたが、卒業の日に、何故かこんな言葉を掛けてくれました。『あなたは他の人にない、ちょっとだけ輝く何かを持っている。これからはそれが何なのかを自分で探して、そして磨いていきなさい。これが私から君への、最後に贈る言葉。』
それからは、もうその先生に会うこともないまま二十年が経ちます。今でも黄昏にふと出会ったときは、何かを見つけることができたのか、はたまた、まだ探している途中なのか、自身に問いながら、あの先生の優しい目を思い出します。

山伏と、節分の鬼。 2012.02.03更新
お昼休みに堂島を歩いていると、足袋に白装束と、肩から大きな法螺貝を襷掛けにした
男性が1人、横断歩道を真っ向から歩いてきます。(ん、あれは、山伏・・・?)梅田は狭い
と言えど、世間は広し。それはもう色んな人達が行き交い歩いているので、最早ちょっと
やそっとの事では気に留めませんが、群衆の中に鮮やかにも目を引くその格好はやはり
山伏そのものでした。山伏の年配男性は、眉間に皺を寄せながら、颯爽と雑踏を歩いて
行きました。私は、その男性をすれ違い様に、まじまじと見ながら(はて、この辺りに山な
どなかろうに。)と考えて、ひと呼吸・・・あっ、今日は節分だ!
山伏の出立ち=不動明王を象徴すると聞いたことがあります。不動明王は鬼の化身で
すから、成程、節分の豆まきにはこれらが関係あるということです。でも、神社・仏閣なん
てこの辺りにあっただろうか、などと考えればもうキリがないのでやめておきましょう(笑)
ところで、節分の豆まきでは、『福は内、鬼も内!』と言うところが地方では結構あるよう
です。何故、鬼も内なのかと言いますと、神社によっては先ほどの話にも出て来たように、
不動明王や鬼面を本尊に祀るところがあり、鬼は外が禁句とされているような場合。また、
心に中に棲む鬼を改心させ福として迎え入れるという考え方、そして商家などでは、鬼は
大荷としてとらえて、大きな荷物が内(家やお店)に入らないと商売繁盛につながらないた
め、「鬼は内」というような考え方など、色々とあるようです。
そう言えば今年の恵方は壬の方角、北北東だそうです。みなさんは、恵方巻きを食べら
れるのでしょうか?鬼も福のうちとしてお迎えするかどうかは別として、季節の変わり目と
して、節分を楽しむことが出来れば良いですね。

的は“得る”のか、“射る”のか? 2012.01.26更新
むかし、『的を得る。』、『的を射る。』で疑問に思ったことがあります。話しをしていると、多くのひとが「的を得てるね。」とか、「的を射た話だね。」など、この熟語に、めいめいで統一されていない違和感を感じていました。的を射る・・・? 当を得る・・・? 要領を得る・・・のか?
ということで、皆さんはどちらが正解だと思いますか。
調べていくと、実は、『的を得る。』という比喩的表現は、中国古典にある“正鵠(せいこく)を失する。”から来ているのだそうです。正鵠とは、弓道の的の中心にある黒星のこと。詰まりは、鳥のことで、その正鵠から矢が外れることを“失する。”といい、当たることを“(正鵠を)得る。”というそうです。さらに“得”という字には、元々“当たる”という意味が含まれていて、いつのまにか、正鵠という言葉が“的”に置き換わり、それとともに“得る”が 現代日本語の“射る”になったということです。こうしてみると、得という字に当たるという意味があるのだから「的を得た。」であっても由緒として、強ち間違いではないのですね。
そうなると、答えはどちらも正解。ただ敢えて、教科書的に言えば『的を射る。』ことが芳しいそうです。
これは核心を突く、うまく要点を掴む、という意味で表現される言葉なのですが、少しこの比喩からは話が外れて、的がある、人生において目標があるということは、とても幸せなことだと思います。
もし的がなく、矢を射らんとなれば、矢はてんで方々にとんでいくに違いありません。当たり前なのですが、的があるから鏃をひける。同じことで、もしフルマラソンに42.195 km を走るということに縛りがなくて、延々と走らなければならないルールだとしたら、殆どのひとが4〜5時間もすれば、もうだらだらと歩き出してしまうでしょう。競争の原理もあれ、ゴールという目標があればこそ、身体に気力という鞭が入るのです。
翻して、目標を持たずに生きて行くというほど辛いものはないとも思います。自分が何者なのか、何をすればいいのか理解できないまま歩く道程は、のらりくらりと足取りも重たくなります。但し、目標は規則ではないので。『人間は、なぜこうも自分を縛りたがる動物なのか。』と、ある著名人が言っていました。『時間で区切り、衣服で分け、規則で縛り、もうそれだけでは飽き足らず、仕舞いには信仰を以て、神にまで縛られてしまわなければ安心出来ない性質なのだ。』と。心の自由を奪うほどの的は要らないのです。
だから、何でもいいのです。短距離でもいい、小さくてもいい、目標という的を決めることで、そこに辿りつくまでに、ほんの少しでも気力を使う事が出来たなら、それが自尊心としてまた次の気力を繋ぐ。そして、次はもう少し遠くまで。限りある時間を正しく大切に使うことがどうして、中々難しいのです。
そう考えれば、生命だって限りがあるから、それを愛おしく思い、大切にしたいと思うのでしょうね。

あけまして、おめでとうございます。 2012.01.12更新
あけまして、おめでとうございます!
今年もメディカは、スタッフ一同、張り切ってやってまいります。
みなさま、本年もどうぞひとつ、宜しくお願い申し上げます。
新年のお話ではないのですが、前回に続いて、実のある(力説)心理学のお話
をしたいと思います。アイソーポスの『すっぱいぶどう』の寓話は有名です。或
る日、キツネが木の枝にたわわに実ったおいしそうなぶどうを見つけます。キ
ツネは食べようとして、ぶどうに向かって跳び上がりますが、みな高い所にあり、
一向に届きません。結局、跳んでも跳んでも届かず、とうとうキツネは怒りと悔
しさで「ふん、どうせこんなぶどうは、酸っぱくてまずいに決まってるのさ。だから、
誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して諦めて去ってしまいます。このよ
うに、目的や欲求が達成されなかったとき、その欲求と現実のギャップを埋め
るために、 自分に都合のいい理屈で埋め合わせしようとする心の動きを、『すっ
ぱいぶどうの心理』といいます。手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位
など、努力しても手が届かない対象があるとき、その対象を価値がなくて低級
で自分にふさわしくないものとみて諦め、心の平穏を得るということなのです。
また、英語圏で「Sour Grapes」は負け惜しみを意味する熟語で、『It sounds
like sour grapes to me.(どうも負け惜しみに聞こえるけどね。)』という風に
使います。
最近知ったのですが、これを受けた追説で『甘いレモンの理論』というものも
あるみたいです。 これは、どんなにすっぱいレモンでも自分のものである限り、
甘いと思い込もうとする心理だそうです。 誰だって人は自分の持っているもの
が、悪いものではないと思いたがります。苦労して、折角、手に入れたものが、
想像とはかけ離れていた場合には、心に大きな負担が掛かってしまいますも
のね。それを避けようとするのが、甘いレモンの理論です。
すっぱいブドウに、甘いレモン。やはり、沈黙は金なのでしょうか。できれば負け
惜しみは言わずに、現実を受け止めていきたいですよね。受け容れて努力する
ことで、もしかしたら今度は「甘いぶどう」に鼻をかすめることが出来る“ かも ”
知れません。

シュレーディンガーの猫と、大阪都構想。 2011.11.28更新
今から100年ほど前、ドイツに「シュレーディンガー」と言う名の王様がいました。
その王様は、たいそうイタズラ好きで、無理難題を考えては、いつもみんなを困
らせていました。
ある時、箱のような装置を作り、町一番の天才を呼び付けて、こう言いました。
シュレーディンガー 「この箱の中には、①放射性原子 ②その原子が分裂したかど
うか検出する装置 ③毒ガス ④猫が入っておる。箱をあけようとすると原子が分裂
して、検出器が作動し、毒ガスが出る。当然、猫は死ぬことになる。さて、ここで問
題じゃ。この箱を開けずに、中にいる猫を生け捕りにしてみよ。」
またもや、無理難題です。箱を開けずに猫を生け捕りにすることなど、出来るはず
がありません。町一番の天才は、しばらく考えてこう言いました。
町一番の天才 「生け捕りにするためには、捕獲作業を始める段階で、生きている
と言う保証が必要です。箱を開けずに、生きているという証明をしていただければ、
作業を始めましょう。」
シュレーディンガー 「ギャフン」(注:100年前なので、死語ではない・笑)ここまでだ
と、一休とんち話の“虎狩り”にも似たお話ですよね。
ただドイツでは、この物語のことが元になって、“自分の出来ないことは、他人に要求
してはいけない。”と言う意味の諺で、『シュレーディンガーの猫』と言う教訓があるそ
うです。今や、全国区にまで飛び火してしまった壮大計画・大阪都構想。新政権には
是非、シュレーディンガーの猫にはなって欲しくないものですね。

〜 都会人のための夜の処方箋 〜 2011.11.12更新
みなさんは、夜、気持ちよく眠れますか?
私は時々眠れない夜があります。
そんな時は大抵、手術が長引いてしまったまま帰って
からも緊張が解れなかったり、ずっと仕事のことを考え
ていたりするときなのですが・・・そんな眠れない秋の
夜長のために、こんな詩はいかがでしょう。
『 都会人のための夜の処方箋 』
〜 E.ケストナー/ドイツ/思想家 〜
どのバスでもいい、乗りこむこと。
いちど乗りかえてもかまわない。
行先は不問。いずれわかってくるだろう。
ただし、夜を厳守のこと。
いちども見たことないの場所で
(当件はこれが必須の条件)
バスを降り、闇のなかに
身を置くこと。そして待つこと。
眼につくものすべての寸法を取ること。
門、破風、樹木、バルコニー、
建物、そのなかに住む人間。
冗談でやってるなんて思わないこと。
それから街を歩くこと。縦横無尽に。
あらかじめ見当をつけないこと。
たくさんの通りがある。実に多くの!
どの角を曲がっても、その先にはまた多くの。
散歩にはたっぷり時間をとること。
いうなれば高尚の目的のため、
忘れられていたことを呼び醒まそうとするのだから。
一時間もたてば十分だ。
そのときはもう、果てしない通りを
一年も歩いたような気になるだろう。
そして、自分が恥ずかしくなってくるだろう、
脂肪過多の心臓が。
このときふたたびわかってくるのは、幸福に眼をくらまされず、
心得ておくべきこと。
自分はマイノリティであるということ。
それから最終バスに乗ること、
バスが闇に消えないうちに。
(原文)
Nächtliches Rezept für Städter
E.Kästner
Man nehme irgendeinen Autobus.
Es kann nicht schaden, einmal umzusteigen.
Wohin, ist gleich. Das wird sich dann schon zeigen.
Doch man beachte, daß es Nacht sein muß.
In einer Gegend, die man niemals sah
(das ist entscheidend für dergleichen Fälle),
verlasse man den Autobus und stelle
sich in die Finsternis. Und warte da.
Man nehme allem, was zu sehn ist, Maß.
Den Toren, Giebeln, Bäumen und Balkonen,
den Häusern und den Menschen, die drin wohnen.
Und glaube nicht, man täte es zum Spaß.
Dann gehe man durch Straßen. Kreuz und quer.
Und folge keinem vorgefaßten Ziele.
Es gibt so viele Straßen, ach so viele!
Und hinter jeder Biegung sind es mehr.
Man nehme sich bei dem Spaziergang Zeit.
Er dient gewissermaßen höher´n Zwecken.
Er soll das, was vergessen wurde, wecken.
Nach zirka einer Stunde ist´s soweit.
Dann wird es sein, als liefe man ein Jahr
durch diese Straßen, die kein Ende nehmen.
Und man beginnt, sich seiner selbst zu schämen
und seines Herzens, das verfettet war.
Nun weiß man wieder, was man wissen muß,
statt daß man in Zufriedenheit erblindet:
daß man sich in der Minderheit befindet!
Dann nehme man den letzten Autobus,
bevor er in der Dunkelheit verschwindet.

おんちゃんと、ユウキと、ミスチルと。 2011.10.24更新
北陸は石川県。加賀に私が “おんちゃん” と慕っている男性がいます。かくして、おんちゃんとは方言で、私は “お兄ちゃん” という意味で受け止め、そう呼んでいます。彼は頭頸部外科の腕利き医師ですが、その遠方に医療的な繋がりもありませんし、殊更、お互いに数える程しか会ったこともない程です。だけど私には、そんな彼をおんちゃんと敬い、ずっと慕っていきたい理由があるのです。
忘れられない人がいます。
おんちゃんには “ユウキ” という名前の弟がいました。ユウキは、私より3歳離れた、学生時代からの親友でした。ボクシング、ボートやダイビング、音楽と勉強。恋愛観においても趣味や価値観なども何かしら似たところがあって、ゆえによくケンカもしました。お互いがお互いを比べて、ちょっと出遅れたところがあると、ふざけながら『追いつけ、追い越せ。』を口癖に、結局は縺れてしまいながらも切磋琢磨していたように思います。
そんな或る日のこと。ユウキが、私の大事にしていたアコースティックギターを貸してくれとせがみにやって来たことがありました。彼は、あのMr.Childrenの大ファンで、ちょうどその頃は「終わりなき旅」、「口笛」などといった甘酸っぱいライフバラードが、よく街中に流れていました。彼は『 “ミスチル” をギター弾き出来るようになりたい。』といつになく息巻いていました。私は『ははぁん。その実、ただ彼女の前で格好つけたいだけなんだろ?』とからかうと、眉をぴくっとさせながら、『それは、本当に弾けるようになってから!』と照れ隠し、ケラケラと笑っていたのをよく憶えています。私は『どうせ弾くなら、自分で納得するくらい巧くなるまでやりなよ。』と、何ヶ月かの条件付きで彼にギターを貸しました。
そのギターが私の手元に返ってきたのは、それから3ヶ月ほどしてからのことでした。それは直接本人の手から返されたのではなく、彼の親族を経由して—。
そして、もう彼はこの世にはいませんでした。
それは、つい一昨日まで隣りで戯けはしゃいでいた親友との、余りにもあっけない “さようなら” でした。心臓が原因とのことで、告別式の日、彼が何度も練習していたミスチルの、あの「終わりなき旅」が繰り返し繰り返し、会場のスピーカーから流れていました。“♪人はつじつまを合わすように型に嵌ってく。誰の真似もすんな、君は君でいい・・・時は無情なほどにすべて洗い流してくれる・・・。” 彼がそう言っているように聞こえたら、不意に胸が痛くなり、私はもう本当にそこに居る現実感もなく、何が何だか分からないまま、こんなに涙がでることがあるのかというくらいに泣きました。
それから、もう十数年が経ちます。
遮二無二、“自分らしさ” を探しながらアイデンティティが完成に近づく頃。手探りで一生懸命もがき、辿り着いたものが誰かに似てしまったとしても、それはそれでいい。その取掛かりから、もう一つ上に新しいものを積み上げることが出来れば、それはまた新しい形になる―。今でこそ、いいえ、今も。その歌を聴くと、そんな風にぼんやりと考えたりします。
もし、彼が生きていたら、今でもあの頃と同じようにまた悩み、はしゃいでいたのだろうと思います。そんな彼にかわり、私の事を “弟” だと言ってくれるおんちゃん。彼もまた、かけがえのない私の “兄” なのです。そして、ユウキとミスチルと。心の片隅にいつも忘れずにいます。
今は誰かと同じだっていい。一生懸命何かをやれることこそ、大切。怠けてなんかいると、そのうち『追い越せ、追い越せ。』と、笑われてしまいそうですから。

梅田・歯の神様。 2011.10.06更新
大阪は梅田の真ん真ん中に、知る人ぞ知る“歯神社”なるものが小さな小さ
な鳥居を構え、高層ビルの隙間にひっそりと佇んでいます。なんでもその昔、
大坂(旧表現)一帯を水没させそうになった淀川の氾濫を、このお社の御神
体であった巨石が“歯止め”したことから、「歯止めの神さま」として慕われ、
いつの頃からか、歯止めの語呂が通じて「歯痛止め」、「歯の神さま」として
歯に関わる方の神さまとして知られるようになったのだとか。また池田街道
などの街道筋近くにあった事から、遠近にも知られるようになったそうです。
明治時代に入って、それまで地元の人々の間でお祀りされていた歯神社を、
正式な神社にしたいという思いを受けて、当・綱敷天神社の末社に加え、い
つしか「歯神さん(ハガミサン)」と親しみを込めて呼ばれるようになったとい
うことです。
さて、驚くなかれ。そのご利益とは、
・歯痛鎮静
・健歯護持
・歯業成就
・歯止祈願 etc・・・
その頃の話として伝わるものの中には、「歯の苦しみが和らいだ。」「子供に
良い歯並びの永久歯が生えた。」など、歯の神さまとして篤く信仰されていた
事が伺えます。いえしかし、こんなことを言いますと身も蓋もありませんが、
敢えて言わせて下さい・・・歯医者さんにきて下さい。
とは言え、私も学生の頃、友人からの話でこの社の存在を初めて知り、お参り
したことがありました。“良い医師になれますように”。
鰯の頭も信心から、心だって真直ぐに人と向き合える気概があってこそ、良い
治療ができるのだと思います。
そんな歯の神社。みなさんも機会があれば是非、訪ねられてはいかがでしょうか。

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