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考えることをやめた〝新人類〟 2019.05.07更新

 『やぁ! 君たちはもう考えることをやめた新人類だね。 考えないという選択をした新人類!』 

斯くしてこの一言に騒がしかった講義室が俄に一瞬しんと静まり、それからどっと笑い声に変わりました。

教壇からマイク越しに、生理学を教える恰幅の良い教授が溜め息混じりにこんな皮肉を言っていたのは、私が大学2年生の頃、折しもみな二十歳そこそこで、まだ高校生気分は抜ける筈もなく、講義中だって構わずめいめいに後ろや横を向いたりして、おしゃべりに熱中していました。

最近は、あらためてこんなことを思い出して、〝考えること〟について考えてしまいます。

 或る、思考の先にあるものは何なのか?

幾ら考えても辿り着けないときがあったり、何も考えていなくても、容易く思考の先端に立っているときだってあります。それは自分の潜在意識や、無意識に経験した引き出しのなかで突合して、閃くものなのかも知れないですね。

カウンセリングでお話しするときや、普段の勉強だって同じで、言葉だけで幾ら補っても足りないときや、脳で練る浅い言葉では、自分をも納得させることさえ難しいときがあります。言葉を道具として使えても、やはり万能ではないので、色んな感覚を使って伝えることも必要なときがあります。

少し風呂敷を広げていくと、アウトプットとして自分が受動したこと全部を誰かに伝えることは、中々容易ではないですし、その一時に感じた脳の波長も時間と共に、やがてその興奮は醒めてしまいます。連続して、かつ伝えようと努力して、初めてそれが幾らか伝わるかどうか。

何でもない日常のなかの素朴なことにじっと眼を凝らし、耳を澄ませていつも感覚を使って考えなければならないと思う、今日この頃です。

 先生、〝新人類〟もあれから少しは成長しておりますでしょうか?


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